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「ヘイ・ジュード」("Hey Jude")は、1968年8月にビートルズが発表した18枚目のオリジナル・シングル曲である。1970年2月にリリースされたアメリカ・アップル・レコードのコンピレーション・アルバム『ヘイ・ジュード』に収録され、同アルバムは1979年にはイギリスでも発売された。 2004年に『ローリング・ストーン(Rolling Stone)』誌が選んだ「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500(The RS 500 Greatest Songs of All Time )」に於いて、第8位となった。 Jude はたいていは男性名であるが、女性名 Judith(ジューディス)の愛称としても使われる。このことが歌詞の多様な解釈に繋がっている(後述)。 == 解説 == クレジットはレノン=マッカートニーだが、実質的にはポール・マッカートニーの作った楽曲である。リード・ボーカルはポール。ポールはピアノ〔この時ポールが演奏したピアノは、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」などでも使用されている。〕、後半リフレイン部分のオーケストラの指揮も担当している(オーケストラ・アレンジはプロデューサーのジョージ・マーティン)。 7分を超える演奏時間は当時のポップスとしては異例の長さで〔後に他のミュージシャンがカバーしたバージョンの中にはさらに長いものもある〕、後半(曲全体の半分以上)で「na na na,na na na na〔ポールは直筆歌詞原稿に "na na na,na na na na Hey Jude" と書いている。〕... Hey Jude」のリフレインを延々と繰り返している(このリフレインの合唱及び手拍子は、この後半部を演奏したオーケストラ・メンバー36名によるものである)。このリフレイン部のコード進行はFから始まりE♭→B♭→Fと循環逆四度進行を繰り返している。この点を作曲家のすぎやまこういちは「ここがこの曲に面白い匂いを持たせてる部分であり、ポールは非常に斬新で、ユニークな発想を持った人だと感心させられる」と評価している。〔すぎやまこういちの体験作曲入門(1981)〕 ジョン・レノンと妻・シンシアの破局が決定的になった頃に夫妻の長男ジュリアン(当時5歳)を励ますためにポールが作った曲と言われている〔ザ・ビートルズ・アンソロジー(日本語版)P297〕。実際にこの曲は当初、"Hey Jules" (Jules はジュリアンの愛称)として構想されていたとポールは語っている〔Miles, Barry (1997). Paul McCartney: Many Years From Now. New York: Henry Holt and Company. p.465〕。一方、ジョンは(オノ・ヨーコに夢中だった時期だからか)「俺への歌(と聴くことも出来る)〔Sheff, David (2000). All We Are Saying: The Last Major Interview with John Lennon and Yoko Ono. New York: St. Martin's Press. p. 186〕」と発言している。またジョンは「婚約者ジェーン・アッシャーに婚約を一方的に破棄されたポールのポール自身への無意識のメッセージではないか」とも考えていたがポールは否定している。また前述のように、Jude は女性名でもあるのでデイリー・エクスプレスの女性記者 Judith Simons のために書かれたと考える人もいる〔Harry, Bill (2000). The Beatles Encyclopedia: Revised and Updated. London: Virgin Publishing. p. 517〕。 一方、Jude はドイツ語ではユダヤ人を意味しており、それを全く知らなかったポールは、宣伝としてアップル・ブティックのウィンドウに「Hey Jude」と自ら大書したため、反ユダヤ主義の落書きかと誤解され、窓ガラスが割られ抗議の電話がかかってくる事態となった〔。 『ザ・ビートルズ』(ホワイトアルバム)と同時期にレコーディングが行なわれ、彼らが初めて8トラック録音に挑んだ作品でもある。このため、彼らが普段使用しているEMIレコーディング・スタジオ(現・アビー・ロード・スタジオ)ではなくトライデント・スタジオを使用した(ホワイトアルバムのセッション後期まで、アビー・ロード・スタジオでは不文律の規約により既に納入されていた新しい機材=8トラックレコーダーの使用は許されなかったが、この曲のセッションの成功でビートルズ側が強硬に申し入れたため使用開始の時期を早めることになった)。しかし、EMI直属のスタジオであるEMIレコーディング・スタジオと独立系スタジオだったトライデント・スタジオでは録音機材の規格が異なっていたため、レコーディングとミキシングを済ませてEMIレコーディング・スタジオへ持ち帰ったマスターテープを再生した際、高音域がほとんど失われていることが発覚し(いわゆる「籠った音質」の状態)、その事はビートルズのメンバーにも伝えられ、対策が協議された。結果として、イコライザーの操作で高音域をある程度まで回復させられた為、録り直しによる発売延期などの最悪な状況は免れた。その為、この曲はビートルズの他の楽曲に比べて全体的に演奏の音にキレがなく、ボーカルとすべての楽器をオフマイクで録ったかのように聴こえる傾向がある。 ドラムが2番から入るのは、トイレへと席を立っていたリンゴが、戻ってきて2番からドラムを重ねてきたところ、ポールが「このテイクはいける!」と感じたため〔出典はアルク英語出版「英語で歌おう ビートルズ編」P62-63、ビートルズ研究家・山本和雄の解説から〕。 ポールは、''"The movement you need is on your shoulders"'' の歌詞を修正もしくは削除するつもりだったが、ジョンの「ここがこの曲で一番いい詞なんじゃないか。捨てるなんて勿体ない。残しておけよ」とアドバイスされ「ジョンの目で見ても大丈夫だと思った」と言う理由で削除しなかった。ポールは「今でもこの歌詞を歌う際ジョンを思い感傷的になる」と述べている。ジョンは解散後「歌詞は立派なもんだ。頑張ればポールにもいい詞が書けるという証拠だな」と発言しており、ポールの曲としては高い評価をしている。 ちなみに、''"Remember to let her under your skin"'' と ''"Then you'll begin to make it better"'' の間に ''"Fucking hell!!"''(クソったれ!!)と悪態をつくポールの声がかすかに聴き取れる。ジョン曰く「ポールがピアノをミスって、使っちゃいけない言葉を使ってしまったのさ。でも俺はそのままにしとけって言い張ったんだ。ギリギリで聞こえるか聞こえないかのレベルでな。大抵の人は気づかないだろう。でも俺たちは分かっているのさ。」 1996年に、ロンドンで「ヘイ・ジュード」のレコーディング用楽譜類譜がオークションに出された際、ジュリアンが2万5千ポンドで落札している。 2012年のロンドンオリンピックの開会式では、式典を締めくくる形でポールが歌唱し、後半は観客と共にアカペラで大合唱を行った。曲の冒頭部分で事前録音の音源が流れ、生演奏と音が2重になるという音響トラブルが発生したが、これはもともと口パクでの演奏が提案されていたためで、口パク嫌いのポールが猛反対したため最終的に生歌・生演奏での決行が決まったものの、誤って音源が流れてしまった(このトラブルはすぐに解消され、生歌に切り替わっている)〔開会式「ヘイ・ジュード」は“口パク”の予定だった? 産経新聞 2012年7月29日閲覧。〕〔ポール、8万人大合唱!機械トラブルで急きょ大合唱 スポーツ報知 2012年7月29日閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヘイ・ジュード」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hey Jude 」があります。 スポンサード リンク
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